い み ふ め り

ひとりごとてきななにか

個人的にはサビで音が下がるのが苦手

自分が目にするタイムラインではゲスきわの感想がざっくり二極化している。

このクズと見るタイプといい歌を歌うから別にいいんだというタイプ。

どっちがいい悪いではないけれども前者のほうが相手を人として見ているんだろうなと思う。お友達になることを想定している感じ。お友達が不倫してたらいやだもんね。

一方後者はモノとして見ている感じ。道具としての機能を果たしてるからいいんだ的な。もしくはクラスタ意識。歌は好きだけどちがうクラスタだからあとはご勝手に。ある意味ゲスい。

あ、前者は乗り鉄、後者は撮り鉄に例えられそうだな。

コメントの落とし所としては「ひどいやつだ。でも歌はいいんだよなぁ。悔しいなあ」というのが一番反感を買わないかもしれない。

 

いつのまにか

全然文章を書かなくなっていた。

リズムのようなものだろうか。

長くおやすみしていた子が学校にいけなくなるのと同じよう。

何を書いていいのかわからなくなってる。

必要以上に人の目が気になる。

 

そんなんじゃつまらないから

また好きなようにはじめてみよう。

おもいいれ

今日は失敗。

イレギュラーな事があったからイベントをどうするか確認したのだけど

そのままやるってことで。

でもそれが気に入らなかった人がいて結局修正。

こうやって書くとその人に非があるみたいだけどそういうことじゃなく。

イレギュラーなことが及ぼす影響の思いの違い。

 

そのひとは本当にそのイベントが大好きだったのだ。

6年も一緒にやってきてそのあたりを読めなかった自分。

挽回はできたけどそのあたりの想像力はもう少し必要だと思った。

不幸自慢はしたくない

某面談の話をしたときに自分の要求を通すためにはいかに自分が困っているかを涙ながらに話す人が多いっていうのを聞いて思わず「そういう不幸自慢って抵抗あるなぁ」と言ったらそうしないととおらないから仕方がないとのこと。確かに制度そのものの改訂を求めてそれが叶うとしても何年もかかるだろうし、そのころには自分の状況が手遅れになってるだろう。

周回遅れの読書感想文の書き方

夏休みもおわったころにこの話題もどうかと思うけど。

 

自分自身はどちらかというと感想文を書くのは得意。
でも書けない子とか苦手な子に書き方教えてと言われたらこんなふうに指導する。

※賞をとるためのものでなく、とにかく字数を埋めるための方法です。

 

その1 課題図書は選ぶな

あれは本を良く読む子のためだと思った方がいい。

あれは自分の感情を突きつめていかないと原稿用紙3〜5枚も書けない。

そして感想文が書けない子は気持ちをつきつめていくことが苦手だ。

実際「面白かった」から進まない子がほとんど。

 

その2 あとで体をうごかして確かめられるものを選べ

例えばサッカーをやってる子ならサッカーに関する本。

料理のできる子なら料理人の伝記など。

ここは敢えて苦手なものを選ぶのもよい。

例えば絵を描くのが苦手な子が絵の鑑賞の本を読むなど。

とにかくあとで体を動かして確かめられるものが書きやすい。

 

その3 実際に確かめる

全部じゃなくていい、本に書いてある事を実際にやってみる。

上の例で言うならサッカーの練習を同じ時間してみるとか、同じ料理を作ってみるとか絵画鑑賞とか。
うまくいかなくてもいい。それはそれでネタになるのだ

 

その4 実際に書いてみる

その本を手に取った理由→自分の興味のある事から選んだと書けば敷居が低い。

一番印象に残ったこと→実際に確かめられる部分を選ぶ

実際にやってみた結果→成功したなら筆者の工夫がすごいと書けるし、失敗したなら筆者のすごさを実感できたともってこれる。
ここでは、色とか匂いとか5感をフル稼働させて書くと説得力が増す。

まとめ→やってみた事をふまえて今後どうしたいか

 

つまり実験レポートとか体験談にしてしまうのだ。

感想は書けなくても出来事なら書ける子は多い。

だから本をきっかけに自分の書ける分野に落とし込んでしまう。

採点側も感想文?と思うかもしれないが少なくとも実際の体験が入ってるぶん

ちゃんと考えたことは評価してくれる・・・はずw

 


まぁ、どうしても困ったらあらすじで埋めるしかないわけだけど。

 

覚え書き(記録のこと)

ちらっと読んだ本が印象に残ったのでメモ。

1年の同じ日で(口座引き落としなど挟んだ時はずらす)通帳の残高を計算すると

1年のプラスマイナスがわかる。

これ、体重も同じことがいえるなぁと。

たぶん自分のスケジュールだと4月始まりが良さそう。

 

つないだ手をはなすとき

今年やってよかったと思うことのひとつが断捨離である。

まだまだ途上中だけど、棚に全く使ってない段ができたことは大きい。

さほどひっかき回さなくても探してる服が見つかるのも。

 

さて、なかなか処分できないもののひとつに本があって。

否、200冊以上は程度は売ったりあげたり資源ゴミにできた。

でもまだまだたくさん残ってる。

だいたい分類すると絶対取っておきたいもの、と読み返してから処分したいもの。

もう少ししたら読み返さなくともさくっと処分できるのかもしれないけど

まだまだそこは煩悩があるようなのでゆっくりやっていくつもり。

この手のものだとお風呂で心おきなく読めるのも楽しい。

 

それで、読み返した物の中にやっぱりとっておきたい、というのがあった。

ちょっとあっちの世界に行きかけた女の子がこっちに戻って地に足がつくお話。

初めて読んだのは学生のころだっただろうか。

そのときの記憶も一緒によみがえってきて、そのころはそのころでやっぱり自分は幸せで

その幸せまでつれてきてくれたから取っておきたくなったのかもしれない。

その時点で迷いなく本棚に戻す。

 

ところが、昨夜なぜか唐突に。

それも整理をしながら、ではなく、なぜかお皿を洗ってる最中に。

あ、これ今なら卒業できるなと思ったのである。

どうしても読みたくなったら図書館で借りてもいいし、また買ってもいいし。

その程度になった、というとちょっと語弊があるのだけれど。

 

気づいてなかったけど今までその本に自分はすごく依存していたのだ。

本に依存していたのかそれが連れてきてくれる過去にかあるいはその両方か。

そして、もう大丈夫。

また前を向いて歩いて行こう。